フランスでの幼少期

神戸に生まれ、8歳までの幼少期を関西で過ごしました。母方の祖父である初代「洋菓子のヒロタ」・廣田定一の夢を叶えるべく、両親はパリにシュークリームをはじめとした洋菓子と和菓子のお店「フランス・ヒロタ」を出店。9歳で初めてフランスに渡った私は、フランス仏語もできないまま現地校に転入することとなりました。

パリでの14年間、日本人の家族と暮らしながらも、私自身の人格や考え方は現地フランス人のコミュニティーの中で形成されていきました。

渡仏当初から心の支えとなったのはダンスでした。クラシックダンスから始め、ジャズダンスへ移り転向ましたが、言葉の壁が存在しないダンスの世界はいつも私にとって大切な自己表現の場所でした。ダンスの発表会の場で、様々な準備や練習、リハーサルなどの過程を経て、本番に仲間たちと味わった達成感と感動は今でも忘れられません。

一時はダンサーを目指しましたが、ある時ふと、「今は何かわからないけれど、私にはきっと果たすべき使命があるのでは?」という心の声が聞こえました。自分のルーツやアイデンティティを知りたいという思いから、パリ・ソルボンヌ大学、東洋語学大学(通称INALCO)に入学し、そこで日本語と日本文化を学び直すことにしたのです。

その当時の私は、「母国語を学び直す」目的でINALCOに入学する学生の先駆けでした。

日本での経験

国際関係学の日本語の学位を取り、日本で新たな経験を積もうと、23歳でパリから東京へ行きました。

東京での仕事の経験は、学びと驚きの連続でした。日本企業における働き方を一から学ぶことができました。

まず、株式会社ワールドにて、フランス人デザイナー、シャンタル・トーマスのプレスを担当すると同時に、パリ本部からの指示を日本人スタッフに伝達する責任者に就任。

その後、フランス高級食材輸入の先駆者とも言えるアルカン社にて、コーディネーター兼イベントマネージャーを務めました。

 

日本での経験

国際関係学の日本語の学位を取り、日本で新たな経験を積もうと、23歳でパリから東京へ行きました。

東京での仕事の経験は、学びと驚きの連続でした。日本企業における働き方を一から学ぶことができました。

まず、株式会社ワールドにて、フランス人デザイナー、シャンタル・トーマスのプレスを担当すると同時に、パリ本部からの指示を日本人スタッフに伝達する責任者に就任。

その後、フランス高級食材輸入の先駆者とも言えるアルカン社にて、コーディネーター兼イベントマネージャーを務めました。

そして再びパリへ

パリに戻ると、Midori Maki SARLを設立し、コンサルタント兼通訳として独立しました。東京で築いた人脈や経験を通じて、日本企業から、フランスでの研修や会議をする際の通訳やコーディネーターの依頼を受けていました。この時期に関わった業種業界は主に以下の3つです。

  • ファッション&ラグジュアリー
  • 高級食材・外食産業
  • 美容・コスメティック

職務の例

  • YSL、Kenzo、Ungaroなどの有名ブランドのパリ本部との定期ミーティング
  • パリFLOのブラッスリーにおける、日本人のシェフおよびフロアマネジャー(スカイラークとジョイント・ベンチャー)などの育成研修の通訳。
  • ランコム・パリにて、日本人ビューティーアドバイザーのトレーニング研修の通訳。
  • ロレアル・フランス本社とマーケティング業務契約を結ぶ。日本の社会的背景、消費者動向、商品説明、ライバル企業の動きなど日本市場の調査・報告。

これらの仕事は、私が日仏両方の文化を深く理解し、その違いを明確に説明することが出来たからこそ成しえたものです。
私の使命は、言葉だけでは表表現しつくせない領域の物事を、言葉を超えて伝えることだと信じています。

そして再びパリへ

パリに戻ると、Midori Maki SARLを設立し、コンサルタント兼通訳として独立しました。東京で築いた人脈や経験を通じて、日本企業から、フランスでの研修や会議をする際の通訳やコーディネーターの依頼を受けていました。この時期に関わった業種業界は主に以下の3つです。

  • ファッション&ラグジュアリー
  • 高級食材・外食産業
  • 美容・コスメティック

職務の例

  • YSL、Kenzo、Ungaroなどの有名ブランドのパリ本部との定期ミーティング
  • パリFLOのブラッスリーにおける、日本人のシェフおよびフロアマネジャー(スカイラークとジョイント・ベンチャー)などの育成研修の通訳。
  • ランコム・パリにて、日本人ビューティーアドバイザーのトレーニング研修の通訳。
  • ロレアル・フランス本社とマーケティング業務契約を結ぶ。日本の社会的背景、消費者動向、商品説明、ライバル企業の動きなど日本市場の調査・報告。

    これらの仕事は、私が日仏両方の文化を深く理解し、その違いを明確に説明することが出来たからこそ成しえたものです。
    私の使命は、言葉だけでは表表現しつくせない領域の物事を、言葉を超えて伝えることだと信じています。

    フランス、日本以外での生活

    香港と上海で過ごした中国での15年間は、異文化を理解することの大切さを更に実感する年月になりました。この期間は、シャネル、ペリエ・ジュエ、ルイ・ヴィトンなどの高級メゾンで、研修セミナーでの通訳を務めるなど、貴重な経験を積む機会に恵まれました。
    これらの仕事を振り返って今でも思い出すのは、通訳として言語を訳すだけでなく、それぞれのブランドのDNAに刻まれた文化やノウハウ、プライド、生き様を伝えることができた時の大きな達成感と感動です。

    フランス、日本以外での生活

    香港と上海で過ごした中国での15年間は、異文化を理解することの大切さを更に実感する年月になりました。この期間は、シャネル、ペリエ・ジュエ、ルイ・ヴィトンなどの高級メゾンで、研修セミナーでの通訳を務めるなど、貴重な経験を積む機会に恵まれました。
    これらの仕事を振り返って今でも思い出すのは、通訳として言語を訳すだけでなく、それぞれのブランドのDNAに刻まれた文化やノウハウ、プライド、生き様を伝えることができた時の大きな達成感と感動です。

    東京に戻る

    2020年9月に拠点を大好きな東京に移し、日仏交流の異文化コンサルタント、トレーニング・コーチ、コミュニケーション・ファシリテーターとして活動しています。

    • パリにあるフランスのアジア専門ビジネススクールISMACの学生を対象に、日本市場を読み解くための講座を実施。
    • 在日仏人女性サークル、Femmes Actives au Japon(通称FAJ)にて、起業家チームのメンバーとして、2か月に一度「女性起業家ネットワーキング」を企画・開催。
    • FAJの「日仏交流ラウンドテーブル」のファシリテーターを務める。
    • 都内百貨店(高島屋、松屋、三越)にて、フランス人監修のコロンビアン・バックブランドAALUNAのポップ・アップ出店コーディネート。日本人販売員に対する販売ツール提供、ブランド理念の伝達を担当。
    • 在日フランス人フリーランス協会(通称FFJ)発行の雑誌『Eclectiques』に、「再生」をテーマとして、卓越した日本人アーティスト須藤玲子、ミヤケマイのインタビュー記事を投稿。

     

    東京に戻る

    2020年9月に拠点を大好きな東京に移し、日仏交流の異文化コンサルタント、トレーニング・コーチ、コミュニケーション・ファシリテーターとして活動しています。

      • パリにあるフランスのアジア専門ビジネススクールISMACの学生を対象に、日本市場を読み解くための講座を実施。
      • 在日仏人女性サークル、Femmes Actives au Japon(通称FAJ)にて、起業家チームのメンバーとして、2か月に一度「女性起業家ネットワーキング」を企画・開催。
      • FAJの「日仏交流ラウンドテーブル」のファシリテーターを務める。
      • 都内百貨店(高島屋、松屋、三越)にて、フランス人監修のコロンビアン・バックブランドAALUNAのポップ・アップ出店コーディネート。日本人販売員に対する販売ツール提供、ブランド理念の伝達を担当。
      • 在日フランス人フリーランス協会(通称FFJ)発行の雑誌『Eclectiques』に、「再生」をテーマとして、卓越した日本人アーティスト須藤玲子、ミヤケマイのインタビュー記事を投稿。

     

    Ma contribution (pages 102 à 113) au magazine éclectiques : magazine bilingue de Freelance France Japon